コードギアスのキャラ批評に依る内省

春休みに入って暇になったものだから、かねてより観る予定だった「コードギアス」をおおよそ1週間かけて観終えた。
全50話の長旅だった。最近疲れが溜まってるのは変な姿勢のまま文字通り腰を据えてコードギアスをぶっ通しで視聴していたからに他ならない。

 

結論から言うと総じておもろかった。内容への言及はこの時点では避けるが、
①FLOWの「COLORS」(1期前半OP)の作品とのマッチング性
②ロボットアニメながら単純な戦闘の勝敗に終始せず、個々人の立場・出自からくる葛藤やそれによる裏切りといった人間ドラマにも重点が置かれている点
③ファンタジーと科学との関係性("とある"のように魔術VS科学のような単純構造でない。作中での魔術的要素の表れは科学主義・進歩主義への批判では?)

以上3つがおすすめポイント

 

特に②について思うこととして「コードギアス」にはホンマのええやつやホンマの悪いやつがほぼ存在しないように感じられた。
おそらく個々人が"守るべきもの"を有しており、その存在が作中で丁寧に、明確に描写されているからだと考えられる。真っ黒/真っ白なキャラが少ないということは、多くのキャラに関して好き嫌いが分かれやすいということだ。

 

ここから考えたのは「コードギアスって自己分析に使えるんじゃないか?」ということ。自分が好き/嫌いなキャラをリストアップしてその理由を分析していけば、人間に関する趣向が見えてくる。
就活只中なので作品をインプットするとこうした活用例がバンバン浮かぶ("実用主義"ですね)。
これが例えばハガレンだとこうはいかないけど、バクマンだとうまくいくと思う。エドやアルが嫌いな人はそもそもハガレンを1話で切るしかないが、福田、新妻、あるいは真白や高木が嫌いでも、平沼が好きだからという理由でバクマンを観続ける人もいるでしょう。きっとそういうこと。

それは"主人公の絶対性"がそこに存在するか否かの問題だ。
ハガレンエドやアルが主人公として明確に規定されており、彼らを中心に物語が回っていると容易に想像がつく。エドが主人公じゃないハガレンはたぶん半分の尺で済む。

バクマンは登場人物の多くが独立したパフォーマーで、個々人の内面も多くのシーンで描かれる。極端なことを言えば真白や高木が主人公でなくてはならないわけではない。新妻や福田がジャンプで1位を目指すストーリーだって当然成立するだろう。

 

前書きはここまでで

 

結論としては

好き→ジェレミア、ロイド、ロロ、ギルフォード、星刻、ラクシャータ

嫌い→扇、玉城、千葉、朝比奈、スザク、ナナリー、ニーナ、ユーフェミア、天子、シャーリー、V.V

どっちつかず→ルルーシュ、カレン、C.C、神楽耶、藤堂、ヴィレッタ、ディートハルト、シュナイゼル、コーネリア、ミレイ、リヴァル、シャルル、マリアンヌ

 

人物と評価ポイントを簡単に

【好き】

ジェレミア、ロロ、ギルフォード、星刻

→忠誠心。主君・大切な人への一途さ。義を通すことの美しさ。態度に一貫性があり実務能力も申し分ない。そういう人たち。
特にジェレミアは1部から2部にかけての成長が見ていて心地良かった。

 

ロイド、ラクシャータ

→実務能力の高さと極端な言説・態度に陥らないバランス感覚の良さ。
特にロイドは異常者であることを自覚したうえで科学者として"わきまえている"点。作中人物で最もオトナ。

 

【嫌い】

扇、玉城、ナナリー、ユーフェミア、天子

→ポジションに対し実務能力が見合っていない。天子は幼いから仕方ないという声も多いが、宦官亡き状態でも尚幼さが見受けられるのはマイナス。
扇や玉城が単なるレジスタンス上がりなのに(そこそこ)取り立てられているのは、年功序列の日本社会への皮肉なのかねーとも感じる。
ナナリーやユーフェミアは理想主義が過ぎる。左2名は無能であることを自覚せず独断専行に走ることが多いのがマイナス。天子はシンクーにちゃんと相談するのでその点マシ。
正直ネットでは扇ばかり叩かれているけれど、一国家や組織内での位置付けやしでかしたことを考えればナナリーやユーフェミアの方が幾分か悪質だと感じる。
ユーフェミアの虐殺は当然ギアスによるものだが、それ以前の段階(特区ニッポン)での計画性の無さや独善的な態度に問題がある。2名と比較して、扇は慎重であると取れなくもない。彼は彼で変な時だけ迷わず決定するのでそこが問題だが。

 

スザク

→理想主義が過ぎる。あとルルーシュの土下座の際足で踏みにじったのは単純に性格悪い。戦闘能力は高けれど詰めが甘く、公の場で感情を制御できない点もマイナス。

 

シャーリー

ルルーシュへの想いの強さのあまり自分勝手になりすぎやと感じる。心配だからといってテロの現場に駆け込んだり、非常時とはいえ一般人でありながらヴィレッタを撃つなど、一般常識が欠如しているのではないだろうか。

 

千葉、朝比奈

→藤堂への忠誠心のみに頼りきりであり、ゼロへの忠誠心に欠けている。仮にもゼロの下で働く以上は彼のことを知ろうとするべきだし、さらに言えば信じようとするべきだ。根拠無き疑いが組織を破滅へと導くこととなる。

 

V.V

→シャルルに黙ってマリアンヌを騙し討ちにしたり、独善的で自己中心的で残虐。

 

【どっちつかず】

だいたい好きな点嫌いな点両方あるなあという気持ち
何人かだけ

 

ルルーシュ
→実務能力は抜群に高いのだけど、あまりにも私情に流され過ぎる。ナナリーを探せ!のシーンはあまりにもお粗末。年相応と言ってしまえばそれまでだが。

 

カレン
→実務能力は高く母を想う心も美しいけれど、慕ってきたルルーシュを最終局面であれほどアッサリと諦められるのが不可解。

 

C.C
→苦しんできた過去があるからこそある程度共感はできるのだが、V.V同様コード持ちであるということで、やはり人間に力を与え自らの解放を願うという点に自己中心性を感じてしまう。

 

ヴィレッタ
→あまりにも裏切りが多いが、恋心を抱いた扇への(なんやかんやあったけど)一途さは素敵。序盤から登場して結局最後まで生き残ってるあたりのしぶとさも良。

 

ディートハルト
→純粋な映像の面白さを追い求める職業人として終始一貫していたのはグッド。でもそれならゼロのギアスバレ事件の時に敢えて寝返る必要はなかったよなあと思う。ゼロに心酔している割に自分がギアスで支配されるのは恐ろしかったのか?と思うとちょっと……。

 

シャルル・マリアンヌ
→親のエゴの象徴。特にマリアンヌはずっと想ってくれていたルルーシュを裏切る形で彼の前に立ちふさがった点が許しがたい。でも両者の安定した精神性と卓越した思考力は王族としてふさわしい。

 

総じて

大切な人への一途さ/思想の一貫性/立ち位置に見合うだけの実務能力の高さ が評価ポイント